公共図書館と「マチズモ」
2023-08-26


公共図書館は、少なくとも本来は、無料のレジャー施設ではありません。

公共図書館は教養の集積地で、デモクラシーの牙城です。
だから、被差別階級(いわゆる社会的弱者、マイノリティ)にこそ利用しやすくする必要があります。例えば貧困層や女性はもとより、盲聾や、いわゆる「障害者」や、就労不能者、もちろんセクシャルマイノリティ(セクマイ)などにこそアクセスしやすく、障壁を可及的になくしていくことが重要です。
他方の恵まれている支配階級側(マジョリティ)は、書籍も新聞も買えるでしょうし、情報へのアクセスにも障壁がないことが多いでしょう。
マイノリティは公共図書館で、教養をしいれて、公開されている情報を入手して、それで政治参加するのです。

貧困だと新聞も買えないでしょう。きょうびはオンラインでも、無料だと読める記事に限りがあります。
貧困の高齢者が図書館に居座っているのはもう、日本全国各地で一般的なことです。しかしそれも、老後の生活資金が足りないで、限られた予算でやりくりして、さらには死ぬまでにかかる医療費・介護費を確保しようと思えば、新聞を買わないことにもなんの不思議もありません。

新聞にせよ本にせよ、問題の所在は、
「なんでタダで読んでいるんだよ、それじゃあ売れないだろ」ではなくて、
まず、買うお金がないことなのです。
貧困自体をなくすのが理想です。

とはいっても、貧困を皆無にすることは不可能でしょうから、公共図書館はセーフティネットとしていつまでも必要なんだ、ということなのです。

「貧困だから買えない、だから貧困にならない社会にしたい」と、そう思っても、「貧困だから政治参加能力がない、教養がなくて情報もなくて、なにもわからない」では、どうしようもありません。
政治をあらためる突破口が必要なのです。

だから、公共図書館はデモクラシー政治のセーフティネットなので裏を返せば、公共図書館は政権の正当性のために必要な存在です。
それを、「税金がかかる」「タダで本を読むレジャー施設になっている」という理由で非難の標的にするのであれば、それは居直りというものでしょう。
本が売れない、タダで利用する貧困者が癪だ、というのであればまず、貧困を減らさなければなりません。


それとは別に、書籍がなかなか音声化や点字化もされず、電子化もされていないというのも深刻な問題です。
同じように、図書館に行けない人への配慮、黙って静かに居られない人への配慮も必要です。
彼らも、政治参加する仲間なのですし、同じ、人です。だからコストをかけてでも優遇するくらいでないと、彼らにはサービスに手が届きません。
しかし例えば市川沙央氏も指摘しているように、日本では、本を読む環境には「マチズモ」があります。


さて、公共図書館はマイノリティにとって生命線なのです。
図書館にいても責められない、プライバシーを詮索されない、そういう「駆け込み寺」のような機能が結果的に求められます。

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